本日は伊勢市役所様で研修でした。この研修は新しい役職に上がった方を対象にしておりますので毎年同じ研修のご依頼をいただいています。今年で5年目になります。
サミット人材開発は地元の伊勢でG7サミットが開催された2016年5月に開業しました。最高の人材を育成するという弊社ミッション(使命)とサミットが開催された時に開業したことのダブルミーニングで社名を付けました。そのサミット開催の当事者である伊勢市役所様からのご依頼が弊社の初受注案件です。しかも受注日は娘の6歳の誕生日といった出来すぎたストーリーが完成しました。弊社の会社案内をするときにはいつも最初にこの話をすることが多いです。
監督者向けのマネジメント・部下指導の研修でしたが、ここ2年くらいはハラスメントにならないようにということを強く伝えるようにしています。現代の若手の気質のは読み解けていますので私自身は20代の方々と打ち解けることは簡単にできます。
40~50代の管理監督者がやりがちなのが「俺の若い頃にはこれくらいできた」という武勇伝ですが、はっきり言います。やめましょう。時代のスピードが違います。
情報社会である現代の1日の情報量は平安時代の人の「一生」分、江戸時代の人の「1年」分と言います。我々の若い頃と言うと平成初期でようやく携帯電話が普及しだした時代。パソコンのハードディスクが400メガヘルツ(今の約1000分の1)あれば「インターネット向け」とされていた時代です。
2013年の全世界のデジタルデータ量は4.4兆ギガバイトだったのに対して、今年2020年は44兆ギガバイトと約10倍です。時代はすさまじいスピードで進化してます。
人は自分が楽しかった時代や全盛期を美化します。例えば、先日元プロ野球選手の友人の広沢好輝君に聞きましたが、昔の野球のピッチャーが今のピッチャーより球が速いということは絶対にないとのことです。ですが、大谷翔平選手が日本人最速の165キロを出した頃、昨年亡くなった金田正一さんが「わしは170キロは出していた」とか言ってましたよね。広沢君と話したところ、良くて140キロ、せいぜい130キロ半ば。そんなくらいかと考えられます。
数字を調べてみたら1965年の30代日本人男性の平均身長は162センチ、体重は58キロです。2015年ですと172センチ70キロです。10センチ12キロ上回っています。栄養の環境がまるで違うことが理由と考えられます。
今はタレントのイメージですが、夏の甲子園で通算最多奪三振の記録を持っているのが板東英二さんです。高校を卒業してからプロになって初めて肉を食べたら猛烈な頭痛に襲われたと聞きました。上質な筋肉を作る材料である肉を摂取したことのないピッチャーがそんな記録を作れる時代であったことが実証できる話です。
結論、120キロ出ないピッチャーが普通の時代に135キロ出せていたというのが関の山かと考えます。金田さんも坂東さんもスポーツ科学や正しいトレーニングが無い時代において突出した存在であったという話だと考えることが妥当でしょう。
1965年の男子100m走世界記録が電動計で10秒06(追い風1.3m)、現在のボルトの記録が9秒58です。旧ソ連・東ドイツ・ハンガリーなどの当時の共産圏諸国を中心に(西側諸国にも例があります)ドーピングをあからさまにやっていた頃のハンマー投げなどの記録を除いては昔の記録が今の記録を上回っていることは見受けられないことも数字的根拠となります。
話が長くなりましたが結論、昔の武勇伝など今の若手には響きませんし、むしろ「そんな昔の話しかできないのか、ショボい上司だ」と思われるのが落ちです。それよりも「今、こんな仕事に取り組んでいるんだ」「こんなスキルを身に着けようと思うんだ」と今も前向きに取り組んでいる姿を見せていくことが重要です。
今の若手はコンプライアンス意識も高いです。企業の不祥事を外部に告発するのは大体若手です。ハラスメントにならない指導やマネジメントを行うことも今の管理監督職には求められます。
錣山親方が英断をされました。相撲協会の体質が変わってきたのかなと思え嬉しいです。
日本相撲協会は2000年代から相次いで重大な不祥事を連発しました。
2007 時津風部屋 力士リンチ殺害事件
2010 野球とばく事件
2011 八百長発覚事件
2017 貴ノ岩事件
と続き、今月13日には中川部屋で恒常的な暴力が続いていたことが発覚し部屋が閉鎖といった事態になりました。このようなことがあれば自治体や一般企業ならば最も重い罰である懲戒解雇が妥当ですが、中川親方には2段階降格といった甘々処分で物議を醸しております。この事件を知った時、「またか」と思いました。
日本相撲協会は「公益」財団法人ですので「一般」財団法人よりも税制面で優遇されており、より法令遵守精神が求められる組織です。一人の好角家、コンプライアンスの専門家としてまだまだ厳しい目を向けていく必要があると思っております。
さらにやらかしたのが気鋭の新進力士、阿炎(あび)です。相撲は相手と濃厚接触をせざるを得ず感染リスクが高く、残念ながら一人コロナによる力士の死者も出てしまったこともあり、協会は不要不急な外出を控える内容の厳格なガイドラインを設けていたにも関わらず、接待に接触が伴う「夜の店」に何度も通っていたことが先週発覚しました。
阿炎はやんちゃかつ天然の問題児として有名で、今年2月のコンプライアンス研修受講後に報道陣の前で、寝ていて全く話を聞かなかったと放言し大問題になったこともありました。
ガイドライン破りは重罪です。場所後には阿炎に厳しい処分が下るでしょう。ただ、1点相撲協会にとって光明と思えることがありました。錣山親方(元関脇寺尾)の英断です。
夜の店へ通っていたことが発覚した翌日、錣山親方はこの件をすぐに協会に包み隠さず報告し、阿炎の休場届を提出した上で両国国技館の駐車場で阿炎を待ち構えて追い返したそうです。
まさに「英断」だったと思います。今までの隠ぺい気質な相撲協会において考えれれなかった、極めて大きな出来事と考えています。錣山親方、素晴らしい。
「誰かが責任を取って終わり」では不祥事は繰り返していきます。責任を追及するのではなく、不祥事は明らかにして何が原因であったのかを追究していくことがコンプライアンス意識を浸透させていく上で重要なのです。
阿炎は26歳の伸び盛りの期待している将来有望な力士ですので、今後のチャンスを与えてあげてほしいとも思いますが、どうなることでしょうか。場所後の裁定が気になるところです。
ところで、錣山親方と言えば元関脇の寺尾。ハンサム力士として私が高校生くらいの時に女性からの人気がありました。若貴ブームで相撲人気が高い時代でした。
高2のときに同じクラスに今だとスー女(すーじょ 相撲好き女子)という言葉がありますが、それにぴったりの子がいました。彼女はかなりの寺尾ファンでした。
そのクラスの男子の一人が寺尾に似ていることに私が気づいて、そのスー女さんに「~~って寺尾に似てるよね」と伝えたら、その後二人はいつのまにか付きあってたと聞きました。思わぬところでキューピット役をしていたというどうでもいい話です。
三菱自動車と日本相撲協会、この2つの組織の上昇・下降の曲線を描いてみるとかなり近いものがあります。相撲の世界も完全な上意下達どころか「横綱は神」の世界です。一人の好角家・相撲好きとして閉鎖的な体質から脱して日本の素晴らしい文化を承継していってほしいと思うばかりです。
2回にわたり、似たような曲線を描いた組織についてお伝えしました。ぜひご参考にしてください。最後に不祥事を犯した人がまず言う言葉を伝えます。
「そんなつもりはなかった。」
自分が売った物が「凶器」になるとお考えになったこと、ありますか?
私にはあります。昨日お伝えしたように21世紀のコンプライアンスのあり方を変えた事件のお話をします。
2002年に横浜市で大型トラックのタイヤが外れ(ホイールを含めると1本約140kg)、親子3人が死傷するといった痛ましい事故がありました。2004年にリコール隠しが発覚し、当時の役員などが有罪判決を受けたという結果になりました。
私は1990年代に三重三菱ふそうで大型トラックを販売していました。
この事件があった時はまさにはらわたが煮えくり返るといった心境になりました。なんという物を売らされていたのだ、私が売っていた車そのものだったら私は加害者じゃないかと強く憤慨・憤怒したことを覚えています。同型の車種を実際に売っていましたから。後にこの話を私の師匠である柴田純男先生から21世紀のコンプライアンスのあり方が変わった事件だと聞きましたが、まさか自分がその事件の当事者だったとは夢にも思いませんでした。
話は遡りますが、2000年に三菱自動車の1回目のリコール隠しがありました。この時はダイムラー・クライスラーからの支援もあり、「まじめ まじめ 三菱」というキャッチフレーズで三菱グループの堅実なブランド性をアピールすることで立ち直りかけましたが2002年の大型トラックのタイヤ脱落事故の多発、2004年に再度の大量のリコール隠しの発覚を受けてブランドイメージは壊滅し、ダイムラー・クライスラーの支援は無くなり、三菱グループ各社の支援を受けることで何とか事業継続をしていくことになりました。
そして10年以上が経ち徐々に売れ行きも上昇し、三菱は長年やってきましたが歴史は繰り返す。2016年、三菱自動車の燃費データ改ざん事件が発覚しました。これは決定的でした。
ある三菱のディーラーの営業から直接話を聞きましたが、お客様から「昔のリコールのことは人も間違うことがあるから許せたけど、今回のは明らかな改ざんで人がやったことだから許せない。」と言われる。もう終わりだと言ってました。結果、ルノー・日産自動車の傘下になったということになりました。その営業は翌年転職したと聞きました。
小菅家は三菱自動車の部品の孫請け工場をしていたこともあり、三菱自動車関係者の知人は多いですが、上意下達体質は結局変わらなかったということなんだと思います。
本日、三菱パジェロの生産中止が決まったとニュースで見ました。コロナウイルスの影響もありますが、三菱自動車の2020年3月決算は3,600億円の赤字が出て、生産体制の見直しの結果だそうです。パジェロは若い頃に乗っていたので思い入れがあり大変残念に思います。
コンプライアンスとは「法令やルールを守り、世間様に対して胸が張れる倫理観を持ち、利害関係者の信頼を確保すること(柴田純男先生)」と定義づけられています。
柴田先生はふそうの事件と並んで21世紀のコンプライアンスを変えた事件であるもう一つの事件、雪印乳業15,000人集団食中毒事件の当時、同社の顧問をされていました。
柴田先生と私は当事者である語り部として、コンプライアンスが守られた風通しの良い社会、ハラスメントがなくいきいきと皆様が生きていける社会にしていきたいと願いこの仕事をしています。
三菱自動車と似たような経緯を辿っているのが日本相撲協会です。明日は相撲協会について考察します。
ようやく。本当にようやくです。
4月半ばから集合型の研修・セミナーがストップし、ZOOMを使ってのコーチングやセミナーをしてましたが、3カ月ぶりに集合形式でのセミナーに登壇してきました。
ウイルス対策として
1.30分に1度の換気をする。
2.講師と受講生は3m以上の距離を取る。
3.受講生同士も2m以上の距離を取る。
4.入室の際はアルコール消毒をする。
5.講師はフェイスガード(写真)を付ける。
6.講師の前に飛沫防止シート(写真)を置く。
7.少人数化する。
8.短時間化する。
9.少人数開催でも講師はマイクを使う。
10.グループディスカッションを極力減らし個人ワーク中心とする。
と万全の配慮を行っております。
飛沫防止シートはホームセンターで材料を集め、飛沫対策となり簡単に運び・組み立て・解体ができるように設計してお安い価格で自作しました。
本日はJA様でハラスメントとコンプライアンス研修でした。私のこの手の研修はよくある「戒め型」の研修ではなく、実体験や裏話と心理学・脳科学に基づいている率直に「面白い」研修です。
実体験や裏話は21世紀のコンプライアンスの定義を変えた事件が2つありますがそのうち1件は私は当事者で、もう1件は私の師匠が当事者です。すごい偶然ですが、最近はそのような星の下に生まれてきたんだと思っています。この話は明日詳しく書きますのでお楽しみにしてください。
ここ2年は日大アメフト部の事例を良く使っていますが、私は大学の時にアメリカンフットボールをやっていて加害者と同じポジションでしたがその経験がある者の視点からしか話せない話なども盛り込んでいます。
90分のセミナーでしたのでこちらから伝える場面がほとんどでした。人前でお話させていただくことは「生きがい」です。話しまくると幸せの脳内ホルモンがドバドバ溢れ出るのでこの上ない快感を味わえます。痛み止めのモルヒネより6~7倍鎮静作用があると言われるホルモンなので強力です。
そのまま帰宅すると家族にウザがられるのでカフェに寄ってから帰宅して、今この文章を書いています。
話す楽しみを覚えると人生はより豊かなものとなります。実は私は元々28歳くらいまでは思ったことをうまく話せませんでした。本当にすらすらと思うことを思うように話せるようにようやくなったのは40歳を超えてからです。ずっとトレーニングやロールプレイングを地道に繰り返しや営業・クレーム対応・マネジメントの現場で鍛え続けてきました。
思っていることをうまく伝えることでできれば、歯がゆい思いをしなくて良くなりますのでストレスを感じることが極端に減ります。これだけでも効果は絶大です。
また、相手がうまく話せていない時に相手の話をまとめることができますので、相手のストレスも大幅に軽減できます。そして感謝されます。
話しかた・伝え方のトレーニング、聴き方のトレーニングの研修は得意とするところです。伝えることで感謝される。講師の仕事は幸せだと、3か月振りの集合研修を行い喜びを噛みしめてます。本当にありがたいことです。
まだ完全に脳内ホルモン抜けてませんね・・・。
私は平日週2で家族の晩ご飯を作っています。
イクメン・イクボス研修や働き方改革の話をする立場なのでそれくらいやらないとおかしいと思っています。
実際に愛知県や三重県の自治体で「イクメン(育児をする男性職員)・イクボス(部下の育児を支援する管理職)研修」や段取り力の研修などの講師をしております。世の中に数多くの働き方改革の研修はある思いますが、実際にイクメンの先駆けとして育児や家事をやってきた私のように自らの経験、例えば娘がまだ3歳の時に家内が左腕を骨折して家事どころか髪のセットすらできなかったので毎朝家内と娘の髪をといてゴムで結うところから毎朝スタートした1か月といった話をしているのは私くらいだと思います。男性の研修講師としては48歳の私はかなり若手であり、諸先輩方のご年齢層だとイクメンのご経験はまず無いようだということが理由です。
夕方に料理を作っている際、料理をしながら軽くビールやワインをいただきながら良くやるのが今回の話題、セルフブレインストーミングです。ブレインストーミングは集団志向とか集団発想法と訳されますが、それを一人でやってしまおうという方法です。私の場合、「アイデアノート」という開いたらA3サイズになるノートを使います。そこに思いつくことをとにかく書き続けることです。
ポイントは
1.質より量 2.とにかく広げる 3.非常識な考えが良い 4.まとめない
です。
アイデアを出すうえで大事なのはいかにまずは広げるかです。最初からまとめようとしたら常識の範疇を超えることは出来ません。まず常識を超えていくためには広げることです。まとめるのは後でいいのです。
広げていく上で大事なのは常識のタガを外すことです。午後は集中の脳内ホルモンが薄れ、眠りのホルモンやひらめきのホルモンが出ます。更に軽く酔ったくらいの状態の方が更にタガが外れるので私の場合、軽くお酒を入れる方がむしろアイデアの数が出ます。それを思うがままにアイデアノートに書き殴ります。広げていくことだけに特化します。
アイデアノートに書かれたことをまとめるのは翌朝です。上記しましたように朝は集中のホルモンが出ますのでまとめる行動は午前中が良いです。
午後は広げる、午前はまとめる。これを「発散と収束」と言います。ロジカルシンキング(論理的思考)の研修で良くやる手法ですが、これを生活に応用しています。
7月20日の記事にも書きましたが、私の生活のリズムは午前は集中(収束)、午後はアイデア(発散)が基本です。このリズムが習慣化してから時間の効率化は約2倍です。ぜひご参考にしてください。
色々とブログを書いておりますが、よくよく考えたらちゃんとした自己紹介をしていませんでした!土日は基本ブログをお休みしますが本日は臨時日曜版をお届けします。
改めまして、私は小菅昌秀(こすげ まさひで)と申します。どうぞ宜しくお願いいたします。
1972年(昭和47年)1月4日、三重県伊勢市で生まれ育ち、高校は三重県立宇治山田高校、大学は京都教育大学で教育心理学、カウンセリング、プレゼンテーション、映像教材の作成について学びました。
そのような学術的な知識をベースに、トラックの営業、ソニー生命のライフプランナー、当時最大手介護会社のエリアマネージャー、賃貸保証会社グループリーダー、研修会社マネージャー・コンサルタント等を実務経験を積んできました。現在営業歴24年、マネージャー歴12年、講師・コンサルタント歴15年(社内講師歴等含む)、経営者として4年です。
伊勢で18年、京都に通算11年、名古屋に3年、東京で10年住んでました。4年前に三重県に戻ってきて起業し、現在四日市市役所様、伊勢市役所様などの自治体や各商工会議所様、百五総合研究所様のセミナー、民間企業など140をを超えるお客様から厚い信頼と数多くのご依頼をいただいています。
研修は主に
1.クレーム対応系(初期対応 不当要求・難苦情対応 謝罪会見対応など)
2.コンプライアンス・倫理・ハラスメント系
3.マネジメント系(マネジメント 部下指導 問題解決など)
4.働き方改革系(テレワーク 業務の効率化 仕事の進め方 イクメン・イクボスなど)
5.営業系
の分野を得意としています。
プライベートでは家内と10歳の娘と楽しく過ごしています。家族と美味しいものを食べること・旅行に行くことがが至福のひとときです。それをモチベーションにして日々精進しています。
趣味は週2でレッスンに行くテニス、月2のゴルフ、現在一番はまっていてコロナウイルス禍が収束したらバンドを始めようと思っているギター、年に500冊の読書(ビジネス、歴史など。最近は犯罪心理学や極悪人系にはまっています)、音楽鑑賞(ロック、ジャズ、クラシック)、釣り(キス、カワハギ、スズキなど)、「インチキイタリアン」の料理です。
性格は一言で言いますと「ラテン系」です。明るく、情熱的・積極的で裏表がないとよく言われます。「大人に成長した映画版ドラえもんのジャイアン」といった感じです。研修では「小菅先生の話を聞いているだけで元気になる。パワーをもらえる」と受講生から良く言われます。結構松岡修造テイストが入っているみたいです。
私の理念は
「高品質なノウハウをローコストで提供することで、お客様の更なるご飛躍と地域の発展に貢献し続ける人材開発のプロフェッショナルカンパニーであること」です。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
お客様等仕事関係者から意外と言われる趣味が料理と楽器です。
私は典型的な体育会かつ結構な強面キャラなせいか、繊細なことが出来なそうに見えるようで、作った料理の写真やギターを弾いている動画を見せるとかなり意外性があるようでびっくりされます。
今朝は娘が朝からいなかったのでいっぱい練習ができました。
コロナウィルスがもっと収まったらジミヘンとクラプトンの曲をやるバンドをやろうと思っているので今日はそれを中心に、弾ける曲をいろいろやりました。YOUTUBEでギターカラオケ(ギターのパートだけ抜けている動画)も数多くあるので楽しめます。
ERIC CLAPTON
HEY HEY、LAYLA、WONDERFUL TONIGHT、CROSSROAD、LITTLE WING(CLAPTON VERSION)
JIMI HENDRIX
PARPLE HAZE、FOXY LADY
LED ZEPPELIN
STAIRWAY TO HEAVEN
DEEP PURPLE
SMOKE ON THE WATER
YES
MOOD FOR A DAY
クリスタルキング
愛を取り戻せ
MAKE UP
ペガサス幻想
最後の2曲はネタ曲ですね。
バンドは中学2年からやっていますが、気が付くとリーダーになっていることが多いです。リトルリーグ(硬式少年野球)でキャプテンをしていたことに起因していると思います。思い返してもチームの牽引役、叱られ役、フォロー役を自然とやっていたなと思います。(わがままな性格は同時にエースピッチャーであったことによって形成されたとも思います。)私は良く自分を一言で言うならと聞かれると「映画版のジャイアンが大人になったと思ってください」と言うことにしています。そんな小菅が今日はリーダーシップについて書こうと思います。
叱られ役なのは異常に厳しい会長(知覧の特攻隊の生き残りの方でした)の存在があったからですが、牽引役、フォロー役は立場が人を育てるというようにキャプテンだから俺が引っ張らなきゃ、俺がフォローしてあげないとと思うようになります。
リーダーシップは2種類あって、引っ張る型(目標達成型、PERFORMANCE型)と支援する型(組織維持型、MAINTENANCE型)の2つがあります。現代のリーダー・管理職はこの2つを時と場合によって使いこなすことが必要です。昔は引っ張る型だけのリーダー・管理職が多かったですが、現代の「手取り足取り」で育った若手世代は引っ張るだけでは付いてきません。「黙って俺の言うことを聞け」「四の五の言わずにやれ」「仕事は目で盗め」「俺の背中を見ろ」では付いてこないと言うことです。
特に「仕事は目で盗め」は危険です。ダメ上司の烙印を押されてしまうくらいに思った方が良いでしょう。今の若手は「やり方ができているのにそれを教えないのは非効率で頭の悪い人間の考えだ」と思っています。彼ら彼女らは効率性を重視します。
また、私は昭和46年度生まれでいわゆる団塊ジュニアです。中学は三重県有数のマンモス校で1クラス43~44人で10クラスもありました。当然先生方の目が行き届かない中、自分で考え行動するしかありませんでした。大学受験の時はバブル期でしたので1受験3万円かかるところを一人で20くらい受けるのがあたり前でしたし、逆に就職はバブルが弾けていたので不景気の真っただ中でした。競争に次ぐ競争の中で育ってきたわけです。
最初の仕事、三菱ふそうの上司は典型的な昔の放ったらかし型の上司でした。そのおかげで入社3か月目には飛び込み営業を何も分からない中やって度胸とガッツは身につきました。放ったらかされても自分で何とかしようとするのが当然の時代に育ったからだと思っています。
それに比べて、今の若手世代は1クラス30人以下で育ってきていることが多いです。クラス数も少ない、先生方の目が行き届いている中、手取り足取りで育ってきているケースが多数派です。
一昨年の年末に私が手帳を落とした時、娘の学校の校長先生から家内に「手帳落とされませんでしたか?」と電話がかかってきたのにはびっくりしました。手帳に私の名前が書いてあるのを見て、小菅と言えば2年生のあの子のお父さんなのではと思われたと校長先生より聞きました。
つまり校長先生は生徒の一人ひとりを知っているということ、それだけ目が行き届いているということなのです。今の若手社員世代も同じように手取り足取り育ってきているということを理解しないと部下指導は難しいわけです。
もちろん支援する型だけでは単なる「仲よしクラブ」になってしまいますので引っ張る型も必要です。現代のリーダー・管理職にとって大切なのは「2種類のリーダーシップを時と場合によって使い分けること」です。部下を育成していくのは手間がかかるという認識を持つと良いでしょう。
やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
山本五十六
娘の一番仲よしの友達Aちゃんが近日引っ越ししてしまいます。連休中に引っ越すので昨日が一緒に学校で過ごす最後の日で、娘は大泣きして学校から帰ってきました。小学校入学から3年と少し、毎日一緒に通学していましたが来週からはいなくなってしまいます。家族ぐるみでのお付き合いでしたので私自身も淋しい思いをしています。
Aちゃんのお家はいわゆる転勤族です。Aちゃんが幼稚園の時に三重に来て、今回4年生で三重を出ていく。寂しい思いを繰り返しています。Aちゃんのお父さんは機器のメンテナンスの仕事をしているのでテレワークをするわけにはいけませんが、転勤の命令が出たらテレワークでできる仕事に転職する方や、転勤を断ってテレワークで仕事をする人は今後増えていくと思います。
テレワークで仕事をこなせる人は基本的に仕事に関する能力は高い傾向にあるので、会社としても辞職されると優秀な人材の流出となってしまいます。
逆に言えば、転勤を強いる会社は優秀な人材を確保できないということに繋がるといったお話です。良く昔から「家を建てると転勤になる」と言われていますが、アンケート結果でも30%くらいの人が新居を立てたらすぐ転勤になった人を見たと出ています。研修会社にいると当然ながら人事ご担当者と話す機会が多いのですが、実際にある人事部の方から「会社に対する忠誠心を試すため」と聞いたことがあります。しかし、最近の若手社員を見ていると社員の忠誠心とか帰属意識は薄れてきています。むしろ社員の定着にはマイナスに繋がることになっていくことになるでしょう。
単身赴任も同様に断る方、もしくはそれを理由に転職する方が増えるでしょう。子どもが成長していく姿を見ること以上に楽しいことは有るのでしょうかと研修で私はお伝えしています。色々な自治体様でイクメン(子育てをする男性職員)研修の講師をしていますが、これからは男性も育休を取り子育てをしていく時代になっていきます。そのような時代を自治体が率先して切り開いていっているのが現状です。
私自身、東京から戻って三重県で開業したときに2か月ほどの短期間ですが単身赴任の状況にありましたが、家族とそれなりの期間を過ごせないのは本当に苦痛でした。何年も単身赴任するのは間違いなく私には無理だと思いました。
これからの時代、企業が優秀な人材を確保し、定着させていくためにはテレワークの導入を行い全国から人を募り、その方々が家族と一緒で魅力的な生活ができるような環境を整備していくことが大事になってきています。
「私どもはこう申し上げました」
「いや違う、お前はこう言った」
「いえいえ、そのようにお伝えしてはおりません」
「いや、お前は絶対言った!」
・・・・
のような言った言わないの話はよく聞きます。
クレーム対応研修の講師をしているので、良く友人や知人からこのようなご相談に乗ります。
このパターンに対する基本応対は「絶対に認めないこと」です。
言った言わないのケースはまず証拠がありません。証拠があれば言った言わないにそもそもなりません。認めてしまうことが即ち「証拠」になってしまうということです。まずは「お待たせをしてしまうことには遺憾ですが、まずは状況を確認させてください。お時間をいただけますでしょうか」とかわしていきましょう。謝罪したら即アウトということを覚えておきましょう。遺憾という言葉は便利な言葉で、謝罪用語ではないのですが謝っている風に聞こえやすい特性があります。言った言わないのケースはこちらが悪いということではないですが、穏便に終わらせたいという気持ちがある方がつい一瞬謝罪してしまいがちです。悪いことは何もしていないのですから、状況をしっかり確認するまでは謝る必要は一切ありません。
状況を確認していくと色々と証言が出てきます。その客観的状況を時系列で並べていくと「この状況でこうなることは考えにくい」といったことに繋がりやすいです。例えば「テーブルに高級時計を置き忘れた。」といったようなケースでは、
7月5日(木)15時頃 お客様が帰られるとすぐにテーブルを片付けて拭いているが、その時に高級時計は確認されなかった。
7月5日(木)17時 アルバイトの退店時に持ち物チェックをしているが高級時計はなかった。
7月5日(木)20時 閉店時に店員2名で退店時の持ち物チェックをしているが高級時計はなかった。
このような経緯報告書を作成すると良いでしょう。
「謝罪文を書け!」というのも良くあるクレームの脅し文句です。こう言うことで皆様に威圧感を与えるための定型文だと思ってください。謝罪文を作成する義務は日本の法律にありません。しかも謝罪の文章ならば認めた証拠になり得る危険性があります。しかし、相手をうまく納得させるためには上記したような時系列で話を並べた経緯報告書を出すというやり方が有効ですので覚えておきましょう。
クレーム対応や不当要求への対応はもちろんケースバイケースですので、どのような件もすぐに判断することが難しい場合も多いです。そのような場合、本日お伝えしたように「まずは謝らないこと」を頭の片隅に置いていただければと思います。
hl52qs00000cb4ti
私は今になっても飛び込み営業が好きでたまにやりたくなってやります。昨日も1件飛び込みましたが、恐らくはご依頼が来ると思います。津市内で飛び込みをすると大学を出て就職をした当初の気分になれます。なかなか楽しいです。
最初の就職先は三重三菱ふそう津営業所でトラックを売っていました。トラックのある会社や個人のリストから1日10~20件ほどの飛び込みをしていました。中には朝5~7時くらいでないと社長がいない会社があったりしたので早起きして会いに行ったりしたものです。
この頃の私はまだ完成された営業ロジックもなく勢いだけでした。お客様からは「お前は勢いだけでまさにダンプカーみたいやな。何を言ってるのか分からないけど、一生懸命であることと熱いやつであることはわかるからお前から買ったるわ。」と言われたこともあります。とにかく三菱ふそうでは「ガッツ」が身についたと思います。
三重県でのんびりした生活を3年してましたが、大学時代の友人が大阪などでバリバリ仕事をして、成長している姿に危機感を感じ、ソニー生命に転職しました。ロジカルな組立てで保険を売ることで定評のある会社ですが、この会社では最初の30分で信頼を勝ち得るアプローチ、お客様の潜在的な需要を掘り下げるファクトファインディング、お客様へのご提案のプレゼンテーション、クロージング、ご契約といった5つのステップの営業ができるようになりました。このステップは無形商材を売っていく上ではどんな商材でも当てはまるので、その後の私の基本形になりました。この会社では論理性と営業の型が身につきました。
次に当時介護の最大手だったコムスンに転職しました。こちらではマネージャーとしての数多くの失敗やクレーム対応実践、介護専属営業(ホームの入居促進)などをしておりました。この時の失敗体験や辛い思いは今、まさに講師としての財産になっています。介護営業ではご家族から心より信頼される安心感というスキルを身に着けることができたと思います。
更に創業1年9か月でマザーズ上場という最速上場記録を持つ賃貸保証のリプラスに移りました。最終的に2008年にリーマンショックの直撃弾をくらいあえなく消えてしまった会社ですが、こちらでは有数のファンド会社の担当を経験させていただき不動産の最先端の世界で活動できた中、強力な説得力と更なる力強さを身に着けることができました。
上記の経緯の中で、フェイスブックで繋がっていただいている方々の中にも数多く私にご指導をいただいた方がいらっしゃいます。
その後、研修業界に入り苦情対応の国際規格であるISO10002を日本に導入したメンバーの一人で、リスクマネジメント分野の研修における日本説得交渉学会副会長の柴田純男先生に10年以上師事して学んできました。
ポリテクセンターという国の機関で営業講師ができることになったことを至極嬉しく思っております。改めて私にご指導をいただいた方々に感謝申し上げます。