本日は動画配信の月曜日です。コンプライアンス意識の根底を支えるのは美意識です。
ブログでも美意識について最近書いておりますが、本日は動画でお伝えしていきます。
私の場合、祖母と配偶者の存在が大きいです。「和風の美」が大好物になったのはこの二人の影響です。神社、お寺、お城、歴史、絵画、茶道具、仏像、庭園などが大好きです。伊勢で生まれ育ち、京都で青春時代を過ごせたこと、東京で数多くのものを10年で見れたことは心情面における私の財産だと思っております。美意識を鍛えたことは「正しいことをする判断力」に繋がりました。
では動画をご覧ください。4分程度です。
今日もコンプライアンス意識を焚けめていくための美意識の大切さを話します。来週月曜日の動画ではコンプライアンスの根底は美意識を持つことであることを話します。
家内と出会ってから私の美意識や審美眼が上がっていったという話は先日しましたが、この10年でその成果を感じた話を3つのうちの1つ目をします。
茶碗 馬蝗絆(ばこうはん)
茶道は薄茶をかじった程度で、高校・大学の時に数回お茶室で茶会をしたくらいですが、道具フェチなので茶器が好きで茶器を鑑賞することは趣味の一つです。
昔、この世のものとは思えない綺麗な青い器である馬蝗絆というものがあると聞いていました。以前より一度拝見したいなと思っていましたが、馬蝗絆は突然私の目に留まりました。
8年ほど前ですか、東京・三越前の乾物屋で昆布と鰹節を買ったら三井記念美術館の割引券をいただいたので、折角だからと見に行きました。
館内に入って少ししたら40メートルくらい向こうに「鮮やかに輝く青い何か」が私の目に入ってきました。「もしや、馬蝗絆か」と感じたらやはりそうでした。突然出会ってしまいました。下の写真が馬蝗絆です。

写真ではあの美しさが伝わらないですね。東京国立博物館蔵で、茶の湯系の展示がある場合に良く出展されるようですので是非本物をご覧いただきたい。これは人間が作った美の極致の一つです。
これを40メートル離れたところから認識できた自分の美意識の成長に大きな喜びを感じました。確実に審美眼が磨かれたことを強く感じました。
最終的に正しくものを見れるか、正しい判断ができるかどうかはこのような美意識、プロ意識、問題意識を持てるかどうかだと思います。コンプライアンス意識を持つために、正しく仕事をしていくために必要なことだと強く感じています。
昨日は本当のコンプライアンス意識を持つための美意識について書きましたがその続編です。
家内と知り合い14年、結婚して13年になります。家内は大学で「美術史鑑賞学」を専攻していたので西洋美術の造詣が深く、またグラフィックデザイナーが生業なので美的センスが非常に高いです。
私は神社・寺・城・庭は以前より大好物でしたが、家内からは絵画について影響を受けました。西洋美術と言えば大学の時に京都で話題になったピカソ展と、28歳くらいの時にチケットを貰ったから行ったレンブラント展しか行ったことがありませんでしたが、交際が始まってから良く美術館に行くようになりました。
特に家内はフェルメールが大好きで、私も大のフェルメールファンになりました。
レンブラントの絵の持つ迫力、レンブラントの緻密な光の表現は対比的ですが、動と静の双極のような感じで両方とも好きです。以前調べてみたらこの二人は同じオランダのバロック期の同時代を過ごしているのですね。二人の絵を並べてみました。対極的なのが良く分かります。

レンブラント 夜警
フェルメール 牛乳を注ぐ女
興味を持って絵画などに触れると私程度の者でも審美眼はついていったようです。明日は動画配信の話になりますが、明後日より私なりに審美眼が身についていったのかなといった3つの出来事を書きます。
私は三重県伊勢市の河崎という街の出身です。伊勢と言えばご存知伊勢神宮(正式名称は「神宮」)ですが、河崎は川に面した物流の拠点で「伊勢の台所(だいどこ)」と言われた街です。内宮さん、外宮さんに食べさせてもらっており感謝の気持ちが強いので神宮には遠慮がちな態度を取っています。

写真は切妻造の一つの神明造である内宮のご正宮です。切妻平入り(きりづまひらいり)という構造です。下図をご覧ください。

神宮の建物は妻入りですので、同じにするのは畏れ多いという理由で、下の写真のように河崎の街の建物は切妻妻入り(きりづまつまいり)です。

それだけの敬意を今も神宮に払っているのです。小菅の実家の齋藤家は現在はこの街並みから少し離れたところに居を移していますが、昭和30年前までは下の写真の家に祖父母や母たちが住んでいました。写真は曽祖父で
大正時代は足袋の卸問屋をしていたそうです。曽祖父はとにかく彫りの深い美男子で良くもてたそうですが、残念ながらその遺伝子は私には残っていないようです。(私の母は「白物家電」のような色白の薄い顔をしています。)この建物も切妻妻入りです。
また、明治以降は外宮門前町の山田を「神都」とするため、山田の隣町である河崎からお寺が無くなりました。
このような街で育ちましたので自然と神様に対する畏敬の念が私の中で育っていったと思います。帰郷してからコロナウイルス禍になるまではご両宮の正式参拝をほぼ毎月しています。
論理性が求められるコンサルタント業を稼業としているので意外に思われますが、割と精神的なものは好きで小学生時代から始まった神社・お寺・城・庭巡りは今も大好きですし、大学は京都で過ごしたかったので京都に行きました。
神道の聖地伊勢の他、仏教の聖地ブッダガヤでお釈迦さまが悟りを開いた菩提樹の下で瞑想したり、ヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナシティのガンジス河のガートで首まで浸かって朝日を拝みながら沐浴をしたこともあります。
神様がいるかいないかは誰も証明できていませんが、いないと思うよりはいると思った方が正しい心を育めるのは確かだと思います。
特に冬場の寒い日の早朝の内宮さんが大好きです。私は神様を見たことはありませんが、きっと神様はいるんだろうなと感じさせてくれるからです。伊勢河崎と言う神宮を畏敬する街に育ったことは幸せだと思います。幸運な巡り会わせにいつも感謝しています。悪いことしない、正しいことをするという考えの私の根っこです。
本日より4週間8回に渡ってコンプライアンスに関する動画を配信します。本日はその第1回となります。同時に当ブログでは毎平日コンプライアンスやハラスメントに関する記事を書きます。
コンプライアンスは良く「法令遵守」と訳されますがそれだけではありません。「胸を張って堂々と正しい行動をする倫理観と利害関係者への信頼確保こそコンプライアンスの本質である(柴田純男先生)」とあるように倫理観と信頼確保こそが大事なことです。
クレーム・不当要求対応、コンプライアンス研修の国内第一人者である柴田先生のノウハウを承継している筆者のノウハウをお届けしてまいります。すべての社会で働く方にお届けしたい思いでお送りしますので是非ご覧ください。7分と少し長いですがお付き合いください。
本日は四日市市役所様でマネジメント研修の講師として登壇してまいりましたが、私は自治体で「公務員倫理とコンプライアンス」を説く研修を年に20回ほど行っています。
教育学部の教員養成課程出身ですので公立中学校で教えるための倫理を学びましたので、それを基本とした内容を提供しています。
倫理とは簡単に言えば「人の輪における決まりごと」「社会で守るべき秩序」です。これを断固果たしていくことが大事です。
昨年の1月、千葉県野田市で小学4年生の女児が父親に虐待死をされるという悲惨な事件がありました。今年の3月に父親の第一審があり、懲役16年が言い渡されました。裁判官の言葉には「むごたらしい」「前例を越えて極めて悪質性が高い」といった表現がありました。それくらい酷いと思う話で、しかも同じ年頃の娘がいる私としては胸が張り裂けそうな強いショックを受けました。
この事件の原因の一つは、学校での虐待についてのアンケートがあり、そのアンケートがあったことを知った父親が教育委員会の担当者に「アンケートを見せろ」と執拗に迫り、虐待をされていると書かれたアンケートのコピーを見せてしまったことです。不当な要求に教育委員会職員が屈してしまった、言い換えれば「人の輪における決まりごと」を踏み越えた対応をしてしまったと言えます。高い職業倫理感が本当に必要だということが分かります。被害者の心愛(みあ)さんには改めて追悼の意を捧げます。
三重県内ほぼすべての自治体の方に私の不当要求対応研修を受けていただいてますが、このような事件を防いでいくためにより強くメッセージを発信していきたいと強く思います。
小菅の実家は不動産会社です。小さい頃から土地の境界争いなどをいっぱい見てきており、裁判の話や土地の境界争いの話を絶えず祖父や父から聞かされて育ちました。
私が17歳の時です。当時は尾崎豊さんの人気がすごく「17歳の地図」という曲がありましたが、17歳の地図ならぬ「17歳の土地」という経験をしたことを書きます。
当時は高校3年の春だったと思います。店子さんから「隣の家が建て替えていて基礎を作ったが、どう見てもうちの建物とのすき間がほとんどない。違法建築ではないか。火事になったらどうしてくれるんだ。」と言う話が来ました。その隣の家の人と交渉が必要になりましたが、父は当時サラリーマンも兼務しており中国に長期出張中、兄は大阪、祖父には任せるのは厳しい、ということで17歳の私が出ていくしかありませんでした。
幸い当時、既に身長は伸び切っていて、今より更に体重が重かった(177cm95kgくらい 小型力士くらいの感じ)のでスーツを着て、髪形を変えればまず高校生には見えません。心の中ではドキドキしながらも、土地家屋調査士の方に同行いただいて、顧問弁護士さんから授けられた文言の「これは建築法に違反していますので、このまま工事を続けるならば裁判所に建築停止の仮執行を本日申請します。」「火事になって燃え移ったらどうしてくれるの?」の一点張りで相手に渋々基礎のやり直しを認めさせました。
相手方としては基礎をやり直すことの費用や、基礎をずらすことで駐車できるスペースがなくなるとの言い分を言ってましたがそんなこと知ったことではありません。とはいえ、相手は結構しつこく30分くらい言い合った記憶があります。今なら1分で終わらせる話ですが、17歳には時間がかかったようです。
私はクレーム対応やコンプライアンスの講師をしていますが、この時の体験は私のクレームに関する原点だと思っています。17歳の土地、あの時のドキドキ感ときつい思いは忘れません。私のクレーム対応研修を受けられる方の気持ちはあの時の自分と同じだと思っています。その大変さを楽にして前向きな気持ちを醸成していくことが私の使命の1つだと思っています。
「お客様は神様だろうが!」と言われたらどう対応しますか。
一昔前なら何とか謝って、なだめてという対応が主流でしたが、「従業員満足度」を高めていかなければいけないコンプライアンス社会である現在においてはしっかりとできないことは出来ないと言っていく必要があります。
「お客様は神様です」は三波春夫さんの言葉として有名ですが、この言葉は独り歩きをしています。本来三波さんは平たく言えば「神様に捧げるときと同じようにお客様の前でも歌う」ということだとおっしゃっており、「神様=お客様ではない」わけです。
当然ですがお客様には何でもするということは有り得ません。私は日本の接遇はぺこぺこと頭を下げ過ぎてきたのではないかと思います。
私が小学生5~6年生だった37年ほど前はまだまだモノ不足で売り手がふんぞり返っていてもモノは売れました。ちょうどガンダムが大ブームとなり、プラモデルが飛ぶように売れたのですが、不人気のプラモデルを売れるものに抱き合わせ販売するといったことが横行していました。それだけ売り手が強い時代でした。
その後、約30年前にお客様満足度(CS Customer Satisfaction)という考え方がアメリカから日本に入ってきました。それまでのモノの不足による売り手市場から、モノが溢れるバブル絶頂期の買い手市場になった時期です。ここからサービス合戦が始まりました。
おおよそ30年くらい前からビジネスマナー研修が売れるようになってきました。私は25年前に社会に出ましたが、新入社員研修でマナーを叩き込まれた初期の世代でした。私の少し上の世代にはそのような研修はなかったという話を聞いております。
その頃はとにかくお客様の言うことは聞けと言われて育ちました。お客様を怒らせて4時間正座させられた挙句にガラス製の大きな灰皿を投げつけられてもひたすら謝りまったといった経験をしました。今なら警察に通報すれば一発アウトの話です。この頃はまだクレーム対応の技術が無かったのでただ謝るだけの時代でした。
20年前くらいからお客様の言い分を受けとめて、なだめていくようなクレーム研修が流行りだしました。この研修は今でも継続していますが、私はこれには功罪があると思っています。
お客様の言い分を聞いて共感し、落ち着かせていき問題を解決するという流れは私が学んでいたカールロジャーズの手法をうまく生かしており、多くのクレーム対応に役立ったもので功と考えます。
しかし、この対応ばかりしてきた結果がモンスタークレーマーやカスタマーハラスメントを生んできたのも事実と言えます。これが罪です。大事な従業員を守るために、不当な要求等には断固対抗することが必要です。
「お客様は神様ではないのか!」に対してはいろんな言い方があると考えますが、基本形はこのような感じでしょうか。
「お言葉を返すようで恐縮ですが、お客様は神様ではありません。お客様なら何を言っても、しても許されるということはありません。お客様はお客様です。当方に神様扱いを求めるならばこれ以上のサービスは提供いたしかねます。」
ある飲食業の方の言葉を思い出します。「お客様は神様ではなく王様としてもてなす。歴史上首を落とされた王様は数多くいるよね。」
お客様は神様ではなく、この言葉を流行らせたいと思います。
「でも、でも」「だって、だって」
若い頃、このような言葉を使う女性をかなり見てきました。私は「デモデモダッテちゃん」と呼んでいました。自分で判断する能力がまだ低い子どもや若い子ならば理解できるのですが、40代以上の方でも自分のやり方を変えるのが嫌で、より良いやり方を探さない人たちが言い訳するときにこの言葉を使っているのを垣間見ます。
「でも」や「だって」など「だ行」の言葉は考えてみれば相手の言うことを否定しがちな言葉が多いです。
他にも
「ですが」
「ですので」
「どれだけ~~しても」
「でも」
「だから」
「どうして」
などがあります。
起業した4年前にこれに気づきました。東京から三重に引っ越ししたときのある手続きの際、電話先の応対者に何かムカッとしたので、録音した電話の内容を聴き返してみました。(私は7年前からスマートフォンにACRという常時電話の会話を録音するアプリを入れています。言った言わないにならないための対処です。何度か決定的な言質を取ったこともありますのでお勧めです。)
そこで気づいたのが「だ行」です。この担当者はいったん、「お客様のご要望はごもっともなことだと思います」といった受け止め方をするのですが、その後「ですが」や「でも」で切り返し過ぎなのんですね。この方法をYES・BUT法と言いますが、あまりに使いすぎていて感じが悪くなっていたというわけです。
また、最近の巧妙さが増してきたクレーマーたちの技にYES・BUT潰しというやり方が出てきました。上記のように一旦受けとめた後に「でも」が出た瞬間に「でもとはなんだ!俺の言うことを否定するのか!なぜ俺の言葉に逆接の接続詞を使うんだ」というように即時に潰しにきます。
クレーム対応では不当な要求などでない場合は相手を否定しないのが鉄則でYES・BUT法は昔から使われてきましたが、そのYES・BUT自体が通用しなくなってきています。そのために私が4年前考案したのが、YES・BY THE WAY法です。
具体的には「~~様がおっしゃる内容はごもっともなことかと考えます。ところでおっしゃる内容とは別の対応策が当方にございますので、一度ご提案させていただけますでしょうか。」というように相手に対して「でも」と逆説的に返すのではなく、お客様のA案に対してB案を並列させて話を検討いただく流れを作っていくというやり方です。
YES・BUTに比べて否定されている感じがほとんどなくなりますので、機会がありましたらぜひ一度お試しください。クレーム以外でも会議などの場で自分の意見を言いたいときや交渉事、子育て、色々な場面で使えます。
「だ行」の言葉を使わないことを意識するだけで否定的な感じをぐっと減らせます。あなたご自身が前向きな態度を醸成することにもつながりますので日々意識をしていただくと良いでしょう。
本日は木曜日の定例の動画配信になります。
働き方改革 効果的な働き方3回シリーズ第2弾 1日の過ごし方 です。
午前に行うとはかどる仕事、午後に向いている仕事、集中力の持続法、集中するための具体的手法などを盛り込んだ5分と少しの動画です。ぜひご覧ください。